keima's caprice diary

気付いたことをメモのように綴ります。なるべく義務っぽくならないように気まぐれに記録します。

レタスに馳せる思い

いつからか気分転換にと思って、この日記を丁寧語で書いてたけどもう終わり。

今日からまた話し言葉で書くことにすることにすることにする。

なんだかオモシロいので絵文字とかもバンバン使うことにする。

まだ今日という日も16時間くらい経過しただけだけど今日のおはなしを書く。

今日は洗濯と掃除と食器洗いと部屋の掃除をひととおりやるのに3時間かかった。

まだ古本を縛ったりしないといけないけど、部屋がだいぶキレイになったので小休止

時間はかかったけど、これでなんとなくスッキリした

それで、掃除機をかけながら思った。

何かを見て、どう感じるか、感じたり思うことは人それぞれ違うだろうけど、感じたことについて考察を繰り返して自分流のシナリオを組み立てていくことは、とても楽しくて意義のあることだと思う。

唐突に何言ってるんだ!? と、思われるかもしれないけど、そういうこと。

そして、誰にも規制されることはないこと。

とあるできごと。。。

通りすがりの八百屋で野菜を眺めた時に、「あのレタス(こういうの→)は色つやがとってもniceだたら、おそらく長野辺りの人情溢れる農家が手間ヒマかけて一生懸命育てて、そこからはるばる草加まで運ばれて、見るからにおいしいサラダとして食卓に出されて、レタスが大好きな人に食べられることを夢見つつ、今こうして店頭に並んでいるろーなー。」と、想像するわけ。

そう思うとつい、標準価格より若干高かったりしても衝動買いしてしまうわけ。

最近野菜売り場に「○○の農家が生産しました。」等と表示されていることが多いけど、消費者側に対する、前述のような想像力をかきたてる、ある種の連想促進効果があると言っても良い。

いや、建前としての売り手側の意図は違うんだろうけど、売り手側の本音としてこういう遊び心的な意図があってもおかしくないと思う。

不況だのデフレだの消費が薄いだのといったシビアな状況だとしても、誰にでも、どこかでさりげなく楽しもうとしている心が、必ずあるべきだと、そう思うわけ。

◇もう1つ◇

自分を追い詰めているのは他の誰でもない自分。

気遣いをすることはとても良いことだけど、苦しくなるのは間違っている。

配慮の行き届いた人になりたい、という考えをいつも頭の片隅に置いておくと良い。

また、人にどう思われているかを気にして堂々と振舞えないのはもったいない。

少しずつでも変わろうとする思いがあれば変わる。

何もかも皆なつかしい。

今日は「大変だと思うと大変になって楽しいことを実行すれば楽しくなる」という自然の摂理を語ったということ。

え!? どこが?